安倍政権は、4月からの日本銀行の新体制について人事案を国会に提出し、黒田総裁を続投させることを明らかにした。日銀総裁を2期連続で務めるのは57年ぶりという。異例の人事は何を意味するのだろうか。過去の総裁を振り返りながら、その政策の違いを見ていきたい。

過去の総裁

日本銀行の総裁は、初代が吉原重俊(1882年10月就任)で、現在の黒田総裁は31代目になる。1970年代以降、日銀総裁は、日銀出身者と大蔵省(現在の財務省)出身者が交互に総裁を務めてきた。しかし、中央銀行の独立性を確保するため日銀法が1998年に改正され、それ以降は日銀出身者が総裁を務めてきた。

ところが、安倍政権となって、経済を立て直すためには保守的な日銀出身者では難しいとの判断があったのか、久しぶりに財務省出身者の黒田氏が総裁になった。日銀総裁は、国会衆参両院の同意を得て、内閣が任命することになっているので、事実上、与党の意向が反映される。

バブル崩壊以降の各総裁

三重野康(1989年12月〜1994年12月)

バブル景気にあったことから三重野総裁は着任してすぐの12月に基準金利を0.5%引上げている。1990年に入っても、3月に1%、8月に0.75%引上げ、基準金利は「6%」になった。これによって、長期金利が上昇し、株価は暴落、土地の値段も下がり始めた。そして、1991年3月にバブルが崩壊した。バブル崩壊によって、景気が後退することをおそれた三重野総裁は段階的に金利を引き下げ、1993年9月には、基準金利を「1.75%」にまで引き下げた。

松下康雄(1994年〜1998年3月)

松下総裁も1995年4月に基準金利を「1%」まで引き下げた。さらに同年9月、0.5%引き下げ、基準金利「0.5%」という超低金利による金融緩和で景気を回復させようとした。しかし、政府は財政赤字を解消するため、消費税を3%から5%に引き上げた。その結果、消費は落ち込み景気は一機に冷え込み、銀行の不良債権問題が発生、北海道拓殖銀行や山一証券などが破たんした。企業は、人件費削減のために非正規雇用を増やすなどして徹底したコスト管理を行った。その結果、物価は下がり「デフレ」が始まったとされる。

速水優(1998年3月〜2003年3月)

その後も景気は低迷し、いわゆる「ゼロ金利政策」が始まった。ITブームによって景気が回復したように思われたため、一時ゼロ金利を解除したが、2001年にITバブルがはじけて、結局、ゼロ金利政策に戻った。そして、さらに踏み込んで「量的緩和」へ移っていった。

福井俊彦(2003年3月〜2008年3月)

福井総裁の期になると、企業がコストカットを積極的に行ったことが効を奏して、株価は上昇し徐々に明るい兆しが見え始めた。これを受け福井総裁は、量的緩和をやめ、2007年2月に基準金利を「0.75%」まで引き上げた。

白川方明(2008年3月〜2013年3月)

これから日本の景気も回復するかと思われたところ、2008年9月にリーマン・ブラザーズが倒産し、いわゆる「リーマンショック」が世界を駆け巡ることになる。欧米諸国の景気後退によって、円高が進行し、輸出産業を直撃した。日経平均株価も7,000円台まで下がった。白川総裁は、再びゼロ金利政策を行わざるを得なかった。また、長期国債などの買い取りも行い、資金供給に努めた。さらに、ETFやJ-REITの買い入れも行うこととした。しかし、追い打ちを掛けるように東日本大震災が発生し、景気回復は果たせなかった。

黒田東彦(2013年3月〜現在)

黒田総裁は、物価上昇率2%を2年以内に実現すると宣言し、大規模な金融緩和を実施した。誘導目標を金利ではなくマネタリーベースに変更し、買入国債の期間長期化と買い入れ額も50兆円ベースで増加するようにした。ETFを年間1兆円、J-REITを年間300億円買い入れることにした。さらに、2014年10月には金融緩和第二弾として、マネタリーベースの増加額を50兆円から80兆円に拡大させ、ETFを年間3兆円、J-REITについても年間900億円買い入れることとした。2016年1月にはマイナス金利も導入した。2016年7月にはETFの年間買入額を6兆円と倍増させた。しかし、物価上昇率2%の実現は達成できていない。(ZUU online 編集部)